さて今回は、「クラッククオーツのインクルージョンが消えた体験」のお話です。
この方と私は、個人的に古い知り合いでして、育った環境や親御さんとの関係など、ある程度つっこんだところまで以前から知っていたということと、石を(ブレスレット)をお作りしてからのち、何度もメールでのやりとりを繰り返す中で、その人本人が地道な自己洞察を行った結果、非常に深い癒しがもたらされることになりました。
最初のお断りしておきますが、石を持てば必ずこのようになれるということではありませんし、雪の石では石に関しては通常、石からのメッセージをお届けする以外の、カウンセリング的なセッションは行っておりませんので、ご了承くださいね。
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この方は、母親に対して抑圧的な確執があると自覚しておられて、過干渉気味な母親にあれこれ口出しをされたくないという気持ちから、就職後、反対を押し切って一人暮らしを始め、その後フリーのデザイナーとして頑張ってこられました。非常に仕事熱心で男勝りな頼れる人、といった印象の方で、後輩や友人からの信頼も厚く姉御肌なタイプでしたが、その半面、他人に厳しすぎる面や、必要以上に一人で頑張りすぎるといった点があり、本人もそれを気にしているようでした。
常に仕事優先でバリバリと働き、それで余計に仕事が面白くなって没頭するという感じで、結婚に対しては「まあいつか、できたらいいかな」というスタンスで来ていたのですが、ブレスレットをお作りした直後あたりに運命的な出会いがあり、それによって「自分がなぜ、今まで結婚をせずにきたのか」ということが明らかになったとのことです。
そして、そのことから「自分がいかに、自分をだまして生きてきたか」というようなことが次々にわかり、自立しているつもりで全くそうではなかったこと、自分が親(特に母親)の呪縛の中で生きてきたこと、さらにその呪縛を周囲の人たちに向け連鎖させてしまっていたことなどを自覚し、大きな衝撃を受けたようです。
クラッククオーツは「自立」に関する石です。自立とは、自分の足でしっかりと立ち、自分の身に起きること、感じることのすべてのを「自分が受け止めるべきもの」と理解しているということです。真の自立の中には「どうして私がこんなことを」というような、「私のせいじゃないのに、こんな不当なことをされている」といった不平や憤りはありません。
そして「負の連鎖」みたいなものは、自立の対極にある依存の、最悪な形です。「私だって辛かった、でもそれは私のせいじゃない、だけど責任を取ってもらうことができなかった、だからオマエで我慢しとくわ」と、弱者に不平や憤りをぶつけ、「こんなに辛い私なのだから、被害者の私なのだから、何をしたって許されるはずなんだから」という被害者意識を水戸黄門の印籠のように振りかざして、無関係な相手を自分の苦しみに巻き込むということなのです。
この方は、そういう「負の連鎖」というものを、自分がそうとは気付かずにずっと行ってきたこと、それを行っているということを自分自身に対しても実に巧妙にごまかし、自分をだましてきたことなどを実感し、それによって母親への感情的な執着が消えたとも言っておられました。
すべては、この方の実感、「そうだったにちがいない」という思いからのものですが、それによって内面的な症状、感情面での攻撃性が実際に消えたという点で、その実感は真実であったのではないかと思います。
この方の個人的な体験ですが、他人との関係が築きにくい、適切な距離が取れない、嫉妬や憎悪など、マイナス感情にとらわれて他人を気にしすぎる方などにとって、何らかの参考になるような気がして、今回、当ブログにてご紹介させていただく旨、了解をいただきました。
それでは、けっこう長くなりますので「続きを読む」に畳んでみました。↓↓からお入りください。
今回、その方(Aさん、とします)からいただいたメールをこちらで個人情報や文体などを変えてご紹介いたします。以下、ピンク色の文字がAさんからのお話をまとめた部分です。
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このブレスレットにまつわる出来事をまとめてみようと思います。
ブレスレットを作っていただいのはもう1年以上前になりますが、その間に起こったいろいろなことや、今の私とあの頃を比べてみると、ついこの間まで…という気持ちと、ものすごく遠い昔のことに感じる気持ちがあって、不思議です。
ブレスレットに異変が起きたのは、作っていただいて1ヵ月くらいの頃でした。クラッククオーツの白い内包がだんだん薄くなり、石自体も黄ばんだように見えて、慌てて浄化をお願いしました。当時、出会ったばかりの彼との間にいろいろあって不安定な毎日だったので、それが原因かと思っていました。
彼とは出会った時からずっと、これまで出会ったどの人とも違う何かがある気がして、運命的なものを感じていました。それで急速に親しくなって半ば同棲状態だったのですが、私は「誰かと一緒にいる」ということが息苦しくて気詰まりで、以前にも1度、結婚を考えた相手と一緒に暮らしていたことがあるのですが、どうにも我慢できず、好きだった気持ちも最後にはなくなって別れてしまいました。
でもそれは、相手がどうこうではなく、私自身が「相手のことを気にしすぎる」のが原因だったんだ、と彼との生活で気づいたのです。
彼は、他人に対してマイナスな感情を持つことがほとんどないんです。ものすごい善人とか悟ってるというわけじゃないし、ごく普通の人なんですが、相手の言動に裏を見ようとしないというか、「意図」みたいなものをほとんど意に介さない感じなんです。そんな彼と一緒にいると、私がいかに他人の意図を探り、勝手な解釈で決めつけて勝手に腹を立てていたかがわかり、私は人に対して過干渉だったんだと気付いたのです。
ある日仕事で遅くなって帰ってくると、彼が食事したあとの食器がキッチンにそのままになってて、彼はリビングでテレビを見ていました。のんきにテレビを見て笑っている姿を見て、なんだかカチンときてしまって「こうやって置いておけば私が洗うとでも思ってるの?!」と言ってしまいました。
その時彼は、ものすごくキョトンとした顔になって、それが印象的でした。そして落ち着いて話をしてみると、彼はお皿の存在を忘れていただけでした。それで私は、彼の気持ちを勝手に憶測して勝手に腹を立てていた、ということに気がつきました。そしてさらに、「こうやっておけば私が洗うとでも思ってるの?!」という言い方が、母にいつも言われていたセリフだったということを思い出したのです。
母は、仕事で忙しい父の代わりに家の用事や子育てをすべて一人でやっていて、特に私が小学校低学年の頃は、周囲に知人も頼れる人もいない土地に引っ越してきたばかりで、なじめない環境の中でいつもピリピリしていたのだと思います。
「こうやって置いておけば、なんでもお母さんがやってくれると思ってるんでしょう、ずうずうしい!お母さんが疲れているのも知らないで!」と鬼の形相で怒っていた母を思い出しました。あわよくば母にやってもらおうなどと思って置いていたのではなく、ただ単に忘れて遊びに出てしまっただけだったのですが、、。
私は彼とのその出来事から、自分が無意識のうちに母の影響を受けて同じことをやっていることにショックを受け、母に対して感じているわだかまりも、長年感じながらも取り立てて問題が起きていたわけではなかったので放置していましたが、改めて考え直してみよう、はっきりさせて自分なりに決着をつけてみようと思ったのです。
そして自分のことをよく考えてみよう、これまでのことを振り返り、自分が人とどういうふうに関わってきたのかを思い返してみようと思いました。
私は、他人に対して厳しく言いすぎる面があって、それが原因で人間関係にヒビが入ってしまうことが何度かあって、人とうまくつきあえない、優しくなれないということを感じていました。厳しく言ってしまうのは仕事の上で、その人のためを思っての発言なのですが、周囲から「何もそこまで…」みたいに思われることが多々あり、自分でも気をつけようと思うのですが、どうしても言いたい、言ってやりたい、という気持ちが抑えられないのです。そしてそうやって厳しく言っている時、自分がすごくいい気分になっていたことに気がつきました。
◆
それはフリーになる前に勤めていたデザイン事務所でのことです。
中途採用で入ってきた後輩(Bさんとします)の指導担当を任されることになり、そのチーム内でリーダーになったばかりの私は張り切っていました。Bさんは新卒後、入った会社を3ヶ月で辞めて1年間インドに行ったのち、帰国後はフリーターで職を転々としている人でした。素直だけど甘えたところのある子どもっぽい人、という印象でしたが、今回の就職を機にちゃんと仕事をして親元を離れた、自立したいと思っていることがわかりました。
Bさんは何事にも一所懸命な人でしたが、どこか要領が悪くて詰めが甘く、何度も同じ失敗を繰り返してしまうところがありました。彼女の失敗は私の責任になってしまうので、私も必死で教えたりフォローしたりしましたが、なかなか思うようにはいきませんでした。私はだんだんイライラが募り、厳しい言葉が増えていくようになりました。彼女はだんだん元気がなくなり、半年もたたないうちに辞めていってしまいました。あとになって、彼女が他の人たちに「リーダー(私)からいじめを受けている」と相談していたことがわかり、私は激怒しました。
風の噂みたいな感じで耳にしたことだったので、弁明することもできず悔しい思いをしたのですが、今になって思い返してみると、Bさんに対しても「そうやって置いておけば私がやると思ってるんでしょう」みたいなことを言っていたし、「こんな初歩的なこともできないような人がいくらアイデアを出したって無駄ね」みたいな、人格を否定するようなひどいことを言っていたことも思い出しました。自覚はなかったのですが、Bさんの言うとおり、あれはいじめだったのだと思います。というのは、Bさんを厳しく叱っている時、私はとても気持ちがよかったんだ、と思いだしたからです。
Bさんがいかにダメでだらしのない人間かを「理論的に説明」し、彼女の尻ぬぐいをするのは、実はとても気持ちのいいことでした。彼女のミスや失敗など、どれも技術的には初歩のものでしたから、それを修正したり、その場で一からあっという間に作り直すなど、たいしたことではないのですが、彼女にとってはそれはまるで「神業」で、私は万能感というものを感じることができたからです。
会社の中でいえば、私は中堅にさしかかったところで、技術的にはまだまだです。まわりと比べて劣等感を感じることも多かったし、決して「出来る人」ではありませんでした。でも、彼女を指導している時だけは、「とても優秀な出来る人」になれた。なれたような気がしていたと思います。実際の私のスキルやキャリアには何の変化もないのに、私は自分がレベルアップできたように感じていたのだと思います。
今にして思えば、私は喜々としてBさんからのミスの報告を受けていたと思います。そして、当時は「心配だから」「この子のミスは私の責任いなるのだから」という思いで彼女を見守ってるつもりでしたが、本当のところは見張っていたのだと思います。Bさんが「今度こそ」と頑張って張り切っている姿を見ながら、表面では応援しつつも、心の中では「どうせまた、結果は同じよ」と思っていましたし、やはり実際に何かが起きてBさんが泣きついてくると、「ほらね、やっぱり」と小気味よく思ってもいました。
私のそういう気持ちは、Bさんにも伝わってしまっていたと思います。当時の私は、自分のそういういやらしい気持ちに自覚がありませんでしたので、わかっていない分、あからさまに出てしまっていたんじゃないかとも思いました。
Bさんとのことを思い出してから、芋づる式のように、他の人とも同じようなことをやっていたことが思い出されてきました。いつもどこかで、他人の失敗やだらしなさを探していて、それを見つけては喜々として指摘していたと思います。そして私は、「ダメなところを指摘して喜ぶ」というのは、実は子どものころ、母からされてきたことだったのだ、とふいに気づいたのです。
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私はずっと、母に理解されていない寂しさを感じてきました。十分には愛されていないという思いがありました。子どもが満足するほど十分に愛してくれる親なんていうものも、理想の話で実際には難しいし、親だって人間だということはわかっているつもりです。けれども私は、母との関係を思い出す時、いつも感じるのは、「身守ってもらっていたのではなく、見張られていた」という思いです。
母は学歴で苦労したために「勉強していい学校に入る」ことをすごく大事に思っていて、いわゆる教育ママでした。けれども私はどちらかといえば勉強は苦手、絵を描いたり工作をしたりすることの方が好きで、自由帳に漫画のまねごとを描いたり、紙製のきせかえ人形のドレスを作ったりして遊んでいたのですが、母はそれを見つけると「勉強にさしさわる、くだらない」と取り上げて禁止し、せっかく作ったものを全部捨てられたりしていました。
それで絵を描いたり何か作ったりするのは友だちの家でするようになりました。作ったものは見つからないように机の引き出しの奥などに隠したりもしていたのですが、母は私の日記を盗み読み、隠したものを見つけ出して捨てたりもしました。日記を読まれたことに腹を立てて、泣いて抗議したのですが、「子供が親に隠しごとをするなんて」「お前は放っておくと勉強もせず怠けてばかりだから、お母さんがちゃんと見ておかないとろくでもないことになる」と言われ、謝ってはもらえませんでした。
「まったく、勉強もろくにできないものがこんな漫画なんて…」といつも言われていました。時代の風潮的にも「漫画=教育によくない」みたいなものがあったのかもしれません。勉強のこと、絵を描いたり物を作ったりすること以外の面では、おやつはいつも手作りだったり、普通の母親だったと思います。楽しい思い出もあったと思うのですが、私にとっては唯一ともいえる楽しみを取り上げられ、勉強ばかりを押しつけられて息苦しかったことばかりが残っています。
けれども中学に上がると、急に成績が上がり始めました。先生の教え方がよかったのでしょうか。勉強することの面白さが出てきたのです。私は「これで母に認めてもらえた、これで絵を描いたり好きなことをしても許される」と思い、母もうるさく言わないようになりました。学校で美術クラブに入り、自分の部屋にも作品を持って帰って飾るようになりました。
ところがある日、母は飾ってある絵を見ながら言ったのです。
「おまえはこの頃ようやく勉強を頑張っているみたいだけど、絵の方はダメみたいだねえ、あんなに好きで毎日のように描いてたって、どうせたいしたことないんだろう、お前もせめて、この人くらいに描ければいいのにね、みてごらん、カバンなんか細かいところまでよく描けてるよ」
けれども母がそう言って指差した絵は、私が描いたものだったのです。私がそれを指摘すると、母は慌てて「あらっ、そうだったの、お前もまあ、わりと描けるのね」と言い、照れ隠しに笑いながら部屋を出て行ってしまいました。
単なる勘違い、ただそれだけのことかもしれませんが、私はその時、なんとなく理解してしまったのです。母はただ、私を馬鹿にしたいだけなのかも…と。
小学生の頃、私は勉強ができなくて宿題も四苦八苦してやっていて、特に分数の割り算などは何を言っているのかさっぱりわからない状態で苦労しました。母はそんな私を「こんなこともわからないの?本当にお前は誰に似たんだろうね」とバカにしながら、うっとおしそうに「ほらお母さんに貸してごらん」と問題を解いてみせ、説明してくれたものです。
その時は素直に母のことをすごい、と思って尊敬しましたが、今にして思えば、大人が小学生の算数が簡単に解けるのは当たり前のことです。そして、それを生まれて初めて習う子供が、簡単には理解できなくて四苦八苦するのも当たり前のことで、それを実の親に馬鹿にされる筋合いはないんじゃないだろうか?と思います。
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イラストの件は、もうすっかり忘れていたのですが、今になって思い出してみると、私の母に対する不信感というか、恨みのような思いはそこで明確に作られたような気がしました。それまではなんとなく馬鹿にされてる?でもまさかね、お母さんが子供を馬鹿にして喜んでたりしないよね、でも…みたいな感じだったのが、「ああやっぱり、喜んでたんだな…」と感じてしまったのだと思います。
私が勉強ができなかったからそこを攻撃ポイントにしていただけで、そこが攻撃できなくなったから、別の何かを探して攻撃してみたけど、自爆した。そんなふうに思いました。表面的な言葉のやりとりや出来事だけを抜き出してみると、特にどうということのない、ありがちな母娘関係なのかもしれませんが、当事者だけが肌で感じるその場の空気というものがあると思います。その空気、私がありありと生々しく思い出した空気の中に、母の、私に対する「馬鹿にするのが楽しくてたまらない」という気持ちがあるのです。そして、この気持ちはまさに、私がBさんに対して感じていた物とまったく同じものだったのです。
そしてその気持ちの根っこをさぐっていくと、そこにあったのは「うっぷんを晴らしたい」という思いでした。
私は「母に馬鹿にされている」という思いが心の奥底に絶えずあったのだと思います。そして実際に母から感じる「馬鹿にすることを楽しんでいる気持ち」、それを受け止めて傷つき、だからといってやり返すこともできずにただ自分の心に沈澱させておくしかなかったのだろうと思いました。
私がBさんに向けていたものは、沈澱した悲しみや怒りだったのだ、と思いました。そして母もまた、進学に反対した祖父や、その後の就職の際に受けた不当な扱いなど、いろいろな出来事の中で、やり場のない悲しみや怒りを沈澱させてきたのだろう、と思いました。そして、私が生まれて、目の前に「非力で、自分以外頼る者のいない存在、何をやってもどう扱っても、自分にすがるしかない存在」が現れ、自分は何をやっても安全だ(絶対に嫌われない)という安心感があって、うっぷんが噴出したのではないかと思いました。
母は、暴力や放置などの虐待はしませんでしたし、虐待といえるようなこともしていなかったと思います。けれども、無垢な子どもに対して、いわれのない軽蔑を浴びせる、それを楽しむというのは、いじめの一種だと思います。しかし母は、自分がいじめをやっていたという自覚はないでしょうし、夢にも思っていないでしょう。私も、Bさん自身が「いじめを受けた」と周囲に言い、会社を辞めていくということで、「いじめ」というものが成り立ったわけで、Bさんが第三者に相談して行動を起こさなければ、自分がやっていることを振り返ったり、疑ったりすることなど、きっとなかったはずだからです。
Bさんとのことを思い出して感じるのは、沈澱しているうっぷんは、とても本能的に「噴出できる場所」を察知し、オートマチックにそこに向かって放出される、ということです。
立場的に、私が直属の先輩で上司、チームリーダーということで、デザイン関係の仕事は初めてだというBさんにとって、私は母親のような存在でした。私に訊かなければ何もわからない、私に頼るしかない、という状況でしたから、他の人よりもずっと「何をやっても私の身は安全」な相手だったといえます。そしてこれは当時は気づいていなかったのですが、何かと要領が悪く、覚えの悪いモタモタとしたBさんの感じは、子どもの頃の私自身の姿にかぶるものがありました。
そして、さらに思い出したのは、Bさん以外の人に対しては、そこまで執拗に厳しくしていなかったということと、そこまで相手の一挙一動が気にならなかったということです。Bさんが特に要領が悪かった、私が指導担当者だったということを差し引いても、彼女に対する執着というか、気になる度合いは相当なものがあったなと改めて思いました。
彼女が会社を辞めてからも、その後どうしているのかが気になっていたし、「いじめを受けた」などというデマ(と、当時は思っていた)を流されたからというのもありましたが、それ以上に「その後もろくでもないことになっている、ということを確かめたい」という気持ちがあったのです。もちろん当時は気づいていませんでしたが、一度少しだけ「新しい仕事に就いたけど、合わなくてすぐ辞めたらしい」という噂を聞き、「ほらね、やっぱり」と勝ち誇った気持ちになったからです。
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Bさんに対する自分の気持ちを探っていくと、本当にドロドロとした悪意と、いやらしさに満ちていて愕然としました。私はこれまで、自分をいい人だと思ったことはありませんでしたが、まあそれなりにそこそこだろうと思っていました。けれども本当は、他人の不幸や失敗が何よりも楽しい、浅ましい人間だったのです。
母が私に向けていたのも、そういう「出来の悪い子ども」を馬鹿にして喜ぶた意地悪な気持ちだったと思います。母から受けた仕打ちによって沈澱していたものがあったこと、それによってうっぷんを晴らしたくてターゲットを求めていたことに気がついた時、母のせいでこんなふうに歪められてしまった、と思いました。それでしばらくは、自分は悪くない、全部母のせいだと思って、母を恨み、許せない気持ちでいっぱいでした。
けれどもある時、Bさんに対する意地悪な気持ちを頑張って見つめていた時、この感情エネルギーは「出来の悪い子ども」に向けるために作られた、生み出されたものなんだ、と感じました。それは最初から放たれる標的が決まっているというか、行き先が決まっている存在というか、、意志を持った生き物のような独立した存在であるかのように感じました。そして、そういう感情エネルギーを母から丸ごと受け継いだのかもしれない、と思いました。
そして母もまた、その意地悪な感情エネルギーを誰かから受け継いで、なんだかよくわからないまま心の中に飼い続けてきたのかもしれないと思ったのです。おそらく母は、自分の中にそういうものがあるということすら気付かないまま、自分が私に対して何をしてきたか、どういう目を向けてきたかを気づくこともないと思います。とても無自覚なまま、そのエネルギーを抱え、私にぶつけた。というよりも、私に向かって放出していくのを気づかずに見ていた、ということなのかもしれないと思えてきました。
うまくいえないのですが、母に、私に対する意地悪な気持ちがあったわけではなく、ただ意地悪な気持ちに支配されていただけなのだ、、みたいな、、すべてが母の責任ではないのかもしれない、といったことを感じました。母もまた、被害者だったんだな、と、、言葉ではうまく言えないですが、そんなことを強く感じました。
だからといって、私をはけ口にしていながらそれに気づかずに過ごしてきた母を許す気にもなれないのですが、「母のせいでこうなった、だから私は悪くない」という気持ちが薄れ、「母のせいでこうなった、だけど他人に同じことをしてきたのは私が悪い」と思ったのです。
また、沈澱してきたうっぷんがBさんに向かったあとどうなったか?を思い返してみると、それは解消されるどころか、倍以上に膨れ上がって帰ってきていました。その場ではいい気分になれても、実は後ろめたい気持ちがしっかりとあったことにも気がつきました。それをごまかすために、目をそらすためにさらにBさんの動向に目を向け、粗を探そうとしていたような気もします。
意地悪な感情エネルギーを自覚していなかった時はもちろんそれに振り回されていたし、母から押し付けられたものだったと気づいてからも、母のせいだからと思っているうちはやはりコントロールすることはできませんでした。
クラッククオーツの内包が消えたり、石がげっそりした感じになったりというのは、この頃が一番ひどかったと思います。自分が何をしてきたかということには気づいたけれども、それを母のせいにしていた頃です。
Bさんのことを思い出すうちに、その他にも似たタイプの人にはやはり同じように意地悪な目を向けていたことにも気づきました。Bさんのことがあってからは態度に気をつけるようになったのですが、心の中では相手の失敗を心待ちにしていたり、後始末をしてあげながら優越感に浸っていたりしていました。
母によって歪められてしまった性格は一生治らない、それは仕方がないけど母のことも一生許さないと思っていました。
けれども、母もまた被害者なのかもしれない、、と思った時、「私こそが被害者なんだ」という気持ちが薄れてきました。そして、それまで私は、自分の意地悪な気持ちを「一生治らない性格」と決めつけて、「歪んだ人間である」ことを振りかざして母の罪悪感をあおろうとしていたということに気づきました。
たしかに母から植えつけられたものだとは思うけれど、それに翻弄されて主導権を渡してしまったのは私自身なのだと思いました。そして、私の心の中のことは私以外の人にはどうすることもできないのだということも強く感じました。だから私が自分でどうにかするしかなかったのです。
それから私は、母との思い出をできるだけ思い出してみようとしてみました。母と過ごした日々、覚えていることをありったけノートに書いてみました。
私が母から受け継いだものは、意地悪な感情エネルギーだけではありませんでした。優しい気持ち、何かを純粋に楽しむ気持ち、、、いろいろなものがありました。その中で、意地悪な感情エネルギーは、迷惑な挿し木のようなもので、できれば受け取りたくはなかったな、、と今でも思いますが、でもそれも、生まれた環境や家族構成のように、自分には選ぶことのできない、黙って受け取るしかないもののひとつなのだと思います。
私がこの世に生まれて与えられてきたものは無数にあります。でもそれらのすべてを活かせているわけではないし、それらのすべてに翻弄されているわけでもありません。
意地悪な感情エネルギーもそのうちのひとつで、それを今さら切除することはできないでしょうから、これからも私の一部としてウズウズするのをなだめながらともに過ごしていくしかないのだと思います。けれども、今までのように翻弄され、心のかなりの面積を占めてしまうようなことはないと思います。
母もまた被害者かも、、と思い、自分のことは自分で決着をつけるしかないのだと心の底から思えた時、Bさんに向けられていた意地悪な気持ちも「星の数ほどに自分に与えられた、受け継いだもののごく一部にすぎない」という気持ちになった時、母への恨みとともに突如として小さくしぼんでしまったのです。
それはなんともいえない不思議な感覚でした。
意地悪な感情エネルギーに対して、「自分のものじゃない」という少し距離を持って冷静に見られるようになった感覚と同時に、「だけど、自分の手でどうにかするべきもの」という責任感のようなものが芽生えて、それまでのように「母のせいにして放置する」という気持ちがなくなってしまったのです。
母のせいにして母を恨んで、感情エネルギーに対して非力でい続けることは、自分は何もしなくていいという意味で楽ですが、感情エネルギーに翻弄されることも誰かを恨むということも、とても無責任な行為ですし、どちらもとても心が傷つくことで、ちっともいいことがないとも思いました。
どうしてふいに気持ちに整理がついたのかは、いまだに不思議ですが、とにかく「自分の心の中にあるもの」はすべて、責任を持って自分が処理しなければならないんだ、処理しよう、と思えたのです。
それは、何度目かの浄化のために雪の石さんにブレスレットを預けていた間に起きて、ブレスレットが手元に戻ってきた時には本当に気持ちがすっきりとして、生まれ変わったような気がしていました。
意地悪な目を向けてしまっていたスタッフに対しても、以前のような気持ち、「言ってやりたい、とがめてやりたい」といった気持に駆られることもなく、本当に不思議なくらいです。そして、クラッククオーツもその後はクラックが消えたり黄ばんだりすることはなくなりました。なんだかあまりにも出来過ぎた展開で、嘘でしょ?と自分でも思うのですが、、目の錯覚、気のせいだったのかな、、とさえ思うほどです。
ただ、日光で褪色する石もある、というのを雪の石さんから聞いて、そういう物理的な原因での変化もあるようなので、これからはあまり気にし過ぎないようにしようと思います。あの頃は、あまりにもドロドロしている自分をどうしていいかわからずに不安定だったので、ちょっとした変化にも「私のせいで石が…」と気に病んだりしていました。
これからはもう少し気楽に石とつきあっていこうかな、、と思っています。母を責めて「母のせいで」と思い過ぎていたから、「私のせいで」と気にしすぎたりしていたのかなとも思ったからです。〜以下略
◆
以下、私の感想です。
いただいたメールの前後の、私への個人的なお礼などは省略しております。セッションのような感じでメールのやりとりをし、石の浄化なども何度か行いましたが、この方の劇的な変化は、本人の本音の部分での強い望みと、根気強い自己内省によるもので、私はその経過をそばで見ていたに過ぎません。いろいろと示唆になるようなやりとりもあったと言ってくださっていますが、どんな言葉も、本人が受け入れようとしなければ、けっして届くことはありませんし、響く、気づきにつながるというのは、その人自身が心を開き、少しでもヒントを得よう、気づきにつなげようと努力した結果だと思うからです。
親から植えつけられた感情エネルギーというのは、大なり小なりあると思います。人は、そういう「親から与えられた色眼鏡」なしには世界を見ることができないと思うからです。親の世界観や人生観の中で子どもは成長し、やがて大人になって親離れする過程で、その色眼鏡が正しいかどうか、今後もずっとその眼鏡を掛け続けていくかどうかを決めるのだと思います。
この方の場合は、「自分は被害者だ、だから誰かをいじめてもいい」という思いが根底にある感じでした。「愚かな相手なら、馬鹿にしてもいい、だって馬鹿なんだから」というような不思議な理屈(屁理屈)が正当なように横たわっているということを感じました。
これが人によっては「自分は被害者だ、だから相手から奪ってもいい」という思いになる人もいるし、「だから怠けていてもいい」とか「守ってもらうべきで、大人にならなくてもいい」という思いになる人もいるのだと思います。
この方の親に対する見解は、「悪く取りすぎ」「勝手に決め付けすぎ」と感じる方や、受け入れられない人もいるかもしれませんが、この方にとってはおそらく真実だったのだと思います。それは、この方が長年翻弄され、苦しんできた攻撃性がきれいさっぱり消えた、ということで証明されているような気がします。
スピリチュアルな世界では、「気づいた!生まれ変わった!」と思える体験をする人はたくさんいると思いますが、それによって「本当に変わる」ということは稀で、たいていの人が1週間もたてば元に戻ってしまいます。その時その時には、衝撃的な気づきを得ても、1年後に振り返ってみると、たいした変化のない自分、だったりするのです。私自身もそういう経験はありますし(^^;
けれども、その気づきが真実だった場合、それによる変化も本当のものになります。こういう形の変化は、本人が注意していなくても元に戻るということはありませんし、戻ろうと思っても戻れないものなのです。
この方も、それまでは「自分の性格だ、治らないものだ」と思っていた感情がきれいさっぱりと姿をひそめ、意地悪な気持ちを抱こうと思っても、以前のようにはなれない、と言っておられました。要領が悪い、ドンくさい、というようなことに「まったくもう」と思うことはあっても、だから傷つけていい、馬鹿にしていいとは思わなくなったそうです。そして「きっと他の人は、そんなふうに思っていないんだろうな、ということもわかってきました」とも言っておられました。自分の世界観しか見えていなかったのが、他の人にはまったく別の世界観や価値観がある、ということを身を持って理解することができた、とのことです。
自分に与えられたもの、自分の心の中にあるものは、自分に責任がある。
という姿勢は、「自立」というものの本質を見事に表していると思います逆に、親と同居していても精神的に自立ができているのであれば、それは健全な同居ですし、親元を離れて自活していても、以前のこの方のように、自分の現状を親のせいにしてただ恨んでいるだけならば、それは精神的なパラサイトだと思います。
他人への嫉妬や憤り、不信感なども、この方の「意地悪な感情エネルギー」と同じような構造なのではないか?と思いました。なぜそのような感情を抱いてしまうのか、その対象となる相手というのは、無差別のように思えても、実のところは非常にじっくりと厳選されているのではないでしょうか。
自分を悩ませている感情、翻弄されがちな感情のすべてが、この方のパターンと同じではないでしょうけれども、この方がされたような、綿密で根気強い自己分析というのは、その感情の出自、どのようにして自分の心に着床したのか?を知ることにはとても有効な方法だと思います。その「本当の始まり」に辿りつけた時、「本当の終わり」が訪れるのかもしれません。
とりあえず、今回は非常に長い記事となりました。読んでいただきありがとうございました。
- 2009/11/04(水) 09:49:45|
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