占い屋◎雪の石

タロット&西洋占星術をしております。 日々の中でほろっと出てくることなどを書き留めてみようかと思います。

今週のカード

11月第4週(11月23日〜11月29日)

Con(コン=嫉妬)

006_con.jpg



出口を求めてさまよう感情の渦 
それらが消えた時 自分の心はあんがい空っぽなのかもしれません。



12サインごとの今週の占いもアップしました。あわせてご覧ください。 こちらからどうぞ。





  1. 2009/11/21(土) 07:10:10|
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太陽と現実

いや〜、気づけば11月も残すところ約1週間ですね〜。

毎年のことではありますが、この時期の月日の経つ速さといったら、えっそんなちょw待っ…といった感じで、てんやわんやとはこのことか?と思ったりします。

さて、昨日11月20日をもちまして、「2010年大予想☆あなただけの星暦」のご予約受付を終了させていただきました。ご予約のお日にちによっては、かなり長くお待ちいただいてしまった方もおられて、申し訳ない限りですが、11月13日までに手続き完了いただいた方への結果送信&アイテム発送を無事完了いたしました(^^)それ以降にお手続きされた方は、あともう少しだけお待ちいただくことになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

「2010年大予想☆あなただけの星暦」の受付自体は、来年1月31日(日)まで行っておりますので、どしどしお申し込みくださいね(^^) こちらからどうぞ☆



「今週の占い」にもちょっと書きましたが、太陽って「現実」というものに対する窓口的存在ですよね。

人間が認識している「現実」って、その人の主観で成り立っているから、どこまでが思い込み(非現実)で、どこまでが現実なのか、みたいなことを考え始めると埒が明かなくなるのでやめておくとして、それでも「現実」というものがなくなるわけではありません。

でも「現実を見なさい」というように、いわゆるよく言われるところの「現実」って、「放置しておくとマズイもの」というような意味かな?と私は思っています。

たとえば、小学生にとっての「現実」って、「小学生であること」だと思います。朝起きて学校に行き、授業を受けて宿題をやって友だちと遊ぶ。学校で決められているカリキュラムをこなすことで、鍛えられたり引き出されたりするものがあって、それらはその先の人生にとってとても大切な基盤となるものですよね。

もちろん、そういう「小学生としてのあれこれ」以外にも、やりたいこと・気になることはあるんだけど、「それをやらないで置いておいたとして、その後に及ぼす影響の深刻さ」みたいなものが、やっぱり違って来ると思います。そして、影響が深刻なもの=現実、ということだし、深刻さの度合いによって、現実の中にも優先順位が出てくるわけです。

って、何を今さら当たり前なことを(^^;って感じですけど、こういうことって意外と「当たり前なこと」としては認識されてなくて、逆に「非現実の彼方」に追いやられてシルエットクイズみたいに「うすらぼんやりとした形」になってしまっているような気がします。

夏休み、毎日楽しく遊んで、でも宿題の絵日記は手つかず…。なんていうことは多くの人が経験があるかと思いますが、(もちろん私もご多分にもれず!)友だちと遊ぶことの楽しさがあまりにも強烈で、「宿題をやってない」なんていうことは、意識の片隅においやられて文字通り霞んでしまうんですよね。ほとんど思い出すことがない日もあったりして。

でも、それは完全に忘れられてしまったわけではなく、シルエットクイズのようにぼんやりと、はかない姿になっていても、「放置しておくとヤバくなる」の度合いとしてはかなり高いわけです。そして何より、それが単なる絵日記みたいなものであっても、小学校のカリキュラムのひとつであり、子どもの成長にとって大切なものであることに変わりありません。だから、それをやらないまま済ませるなんてことは学校側が許すはずがなく、親も先生もヤイヤイ言うわけです。

シルエットクイズ的な姿になっても、というか、そういう姿になればなるほど、不安って膨らんでいくものなのです。

幽霊の正体見たり枯れ尾花。なんていう言葉もありますが、まさにそれと同じで、実体を見ることができないからこそ、それに対する妄想が膨らみ、具体的な細部を知ることができないから、「何がどうなるのかわからない」という怖さが、さらに不安を押し広げるのだと思います。

そして、不安が膨らむにつれ、ますますそこに手をつけることが怖くてたまらなくなる。

夏休みの絵日記なんて、実際に描いてしまえばどうってことのない作業なんですけどね。溜め込んでしまった、間に合うかどうかわからない、みたいな焦りも加わって、気持ち的にはまるで怪物のようなものに思えてきたりして…「自分には太刀打ちできない、自分には無理だ」なんて勝手に思い込んだりしてしまうのです。それでお母さんに泣きついたりするんだけど、あんがい落ち着いてやれば、お母さんは必要なかったんじゃないかなー。なんていう遠い記憶(^^)。



ま、そんなこんなな体験を重ねることで、人は自然と「放置してはいけないもの」と「わりかしそうでないもの」の区別を学び、それはホロスコープ上では天体に刻み込まれていくのだと思います。そして、そういう区別、分別は太陽に刻まれて、「自分は、何をすべきか」ということは「何を大切にするべきか」というようなことが確立されていくのだと思います。

「自分は何を大切にしているか」というのは「自分がどういった人間であるか」ということの重要な柱のひとつだと思います。人は、自分の大切な物を守るために何かを考え、行動を起こすわけで、「何が大切か」というのは、人生観に大きく影響するし、人生観そのものといえるかもしれません。

「現実」というものは、怖れずに取り組めばけっして怖いものではありません。それが怖いというのは、「長い間放置して、逃げてきました」と告白しているようなものだと思います。けれども、だからといって、現実に取り組むことを代わってくれる人はいないし、代わることなど不可能なのです。

社会に出ることが怖い、人と付き合うのが怖いといって自室に引きこもり、ニートと呼ばれてしまっているような人たちも、心の中の苦しみは、他の人には想像もつかないほど深いものがあるかもしれません。

それで、まわりの大人や行政が手を尽くして、支援機関を作っても、そこをクッションにしたところで、「実際に社会に出て行く」という部分は変わることはありません。「実際の社会」に対する妄想が膨らみ過ぎてしまっているから、支援機関で仮想社会を体験し、妄想を少しずつしぼませていきましょう、みたいなことですが、仮想社会というのは実際には、義務教育など「学校」という場で体験済みなはずなんですよね。

ただ、学校は実社会に比べると「仮想空間」であるという性質上、逃げることが比較的容易です。嫌なこと、やりたくないこと、できないことを嫌だ嫌だで拒んでいれば、周囲や先生が根負けして大目に見てくれるということもたくさんあります。根負けしてもらえてラッキー、なんてその時は思っても、結局は「鍛えられるはずだったものを、脆弱なままにする」ことになるので、あとになってしんどい思いをするのは自分なんですよね。

社会に出る、ということへの怖れや不安は、誰にとっても同じようにあります。でもそれを乗り越え、いろいろなことを我慢して乗り越えて大人になっていくだけで、最初から社会に適応できて、行く先々で褒められていつも一番で、何も傷つくことがない人なんて、いないと思います。

だけど、学校という仮想空間でズルしてしまった人は、他の人が普通にこなせることがしんどくて苦痛でたまらないのだと思います。でももう周囲には、根負けしてくれる人はいなくて、ただ置いてけぼりにされるだけです。

そんな状態になってしまうと、太陽はもう輝くことができません。

太陽は、自分の目の前の現実に、「えいっ」と勇気を出して取り組んでいく力で、そうやって取り組むことで自分を実感し、自信を持つことができる性質だからです。努力というものは、けっして面白おかしいものではないし、むしろ苦痛でめんどうくさいものです。でもそれを頑張ってこなし、「やっとやりおえた!」という達成感が、太陽にとってのエネルギー源なのです。ある意味でマゾといえるかもしれませんが、何事もメリハリというか、緊張と弛緩、水とお湯ですね。

太陽は、怖れや苦しみに耐えて打ち克ち、その反動での開放感で成長する性質を持っているのだと思います。だからまずは怖い思いをしないと、何も始まらないということだと思います。そして、そういう体験をどういった分野でするのが一番効率的なのか、ということが、出生図のおける太陽のハウスやサインなどにあらわされているのかもしれません。



  1. 2009/11/21(土) 06:58:37|
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2010年のこととか

みなさま、こんにちは。ちょびっとご無沙汰しておりますがいかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで、10月下旬より予約受付を開始しました「2010年大予想☆あなただけの星暦」も多数お申し込みをいただきまして、ありがとうございます(^^)ご予約承り期間も残り5日ほどとなりました。11月21日からは、通常価格となりますので、お急ぎくださいね。

先週末までにお申し込みいただいた皆様には予定通り、11月20日より順次、結果をお届けすることができると思います。また、本日分のお申し込みより、鑑定結果のお届けが来週明け、11月25日以降となりますので、どうぞよろしくお願いいたします。



それともう1点お知らせですが、ショップでの次回新作を11月20日(金)21時頃からのアップで予定しております。

今回は、原石シリーズの第2弾です。雪の石では初めてのご紹介となるマラカイト、他にはクリソコラ、エメラルドのタンブル、ヒマラヤ水晶のミニ原石などの予定です。丸玉やポイントカットなども美しくて好きなのですが、ころんとした素朴なタンブルも味わいがあっていいな〜と思います。

あと、ジャスパーのハート型も3点ほどご用意しております。ジャスパーもそうですが、今回のマラカイト、クリソコラ、も個性的で面白い模様を持つ石が多いですね。アップ商品を選んでいる時には気づきませんでしたが、改めてラインナップを見てみると、面白いな〜と思いました。



それにしても、先週はよく降りましたねえ。雨。事故や災害など起きていないといいのですが、私はとりあえずご予約の鑑定を黙々と…。自宅でひっそり型の自営業のいいところは、通勤がないので雨の日に濡れなくて済む、ってことですかね。でもワタクシ、1日に1回は外に出たいアウトドア派なので、結局は濡れることになるのですが。ま、言うても行先は駅前のミスドだったり(^^;

それで、ご予約の鑑定をしながら、2010年という年について考えたりもしていまして、もうそろそろ年間占いも書かないといけませんが、なんとなく感じるのは「硬いものが壊れて、柔らかな本質が出てくる」といったことが根底にあるのかな〜…と思います。

土星と天王星って、どちらも頑固な性質なんですよね。土星はまさに頑固爺といった感じの天体ですし、天王星も、土星に比べれば「若い世代」の象徴になったりもしますが、若さゆえの青くて固くて凝り固まったところがあるように思います。ギリシャ神話などでも、クロノスとウラヌスの関係は、衝突し合う父と息子だったりしますしね。衝突って、お互いが硬くないと成り立たないですから。

土星と天王星は、性質は正反対なところがありますが、硬さ自体は似たり寄ったりなんじゃないかなーと思います。だからぶつかり合えば結局はお互いが同じように衝撃を受けて変化する。占星術上の並び方で考えると、天王星の方が高次ではあるけど、この2天体の関係はけっして一方的ではない気がしますね。

だけど、衝突の末に「一皮むける」のは天王星(=息子世代)の方だと思います。クロノスが象徴する「父親世代」というのは、老兵は去るのみ、みたいな感じで、「もう自分の時代ではない」ということを受け入れて身を引く立場で、新しく生まれ変わってもうひと花咲かせる、というところを目指していないように思います。そして、土星がそうやって消えていくことで、新たに台頭してくる、若芽があって、それが、土星との衝突によって殻が割れて出てきた「やわらかい部分」なような気がします。

人間は、昆虫や魚とは違って、皮膚が非常に柔らかくて脆弱です。だから服を着る。それで身を守ることができているんだけど、「服を着ている」「裸ではない」ということは常に意識されてて、ちゃんとわかっているわけです。それは、皮膚と服の素材が別モノだからで、これがもし、皮膚と全く同じような見た目・質感の超・ごく薄素材で、ピッチピチに密着するようなボディスーツだったら、自分が裸なのか、そうでないのかがわからなくなる、ということがあるかもしれません。

最初は窮屈感や、皮膚呼吸ができない息苦しさもがあっても、ずっと着続けていると慣れてしまって、わからなくなったりしそうです。だけど、感覚(=頭の認識)が麻痺してしまっても、身体はしっかりとわかっているので、変な汗をかいたり、体調不良になったりしてそれなりに信号を送ってくれると思います。

そして、弱い皮膚を守るために洋服を着るように、弱い心を守るために、ボディスーツや鎧のような構造が作られる、ということがあると思います。

心の場合、素材がどうこうという次元ではないので、それを区別するのは非常に難しいことが多いし、本人にすら、それが「本当に強い心」なのか「弱さを守っているだけなのか」がわからなくなっている…ということがかなり普通にあるのではないかと思います。

それでも、「裸ではない」という事実は確実に窮屈さや息苦しさを作っているわけですが、あまりにもピッチピチなために、どうやって脱げばいいのか?、ていうかこれは脱ぐことができるものなのか?と疑ってしまったり、なんてことにもなりそうです。

2010年は、そういう「自覚のされようがない感じの、硬さ」にもピシッとヒビを入れることができるような時期なのかなーと思います。どんなにピッチピチであっても、どこか1ヶ所に小さな切れ目が入っていれば、あとはセロハン包装のようにピーっと剥いていくことができる気がするんですよね。

鑑定の中で、そういった形の変化を迎えることになる感じの方が複数おられて、最初は偶然、そういう方が集中したのかな(そういうこともよくあるので)と思っていたのですが、どうやら2010年自体が、そんな感じの時期なのかもしれないなと思うようになりました。その動きを作り出しているのはやはり、土星−天王星のオポジションだと思いますが、このアスペクトが出生図のどこに関わってくるか、ということで、影響を強く受ける方もおられるでしょうし、本人の中に「脱皮したい、もっと本当の自分の部分で生きていきたい」という強い気持ちがあれば、土星−天王星のエネルギーはそこにリンクすることになるのではないかと思います。



  1. 2009/11/16(月) 07:05:50|
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今週のカード

11月第3週(11月16日〜11月22日)

木星のカード

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こだわるほど価値のあるものなど 本当はどこにもないのかもしれない



12サインごとの今週の占いもアップしました。あわせてご覧ください。 こちらからどうぞ。




  1. 2009/11/14(土) 07:10:56|
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今週のカード

11月第2週(11月9日〜11月15日)

数字の7

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分かたれていたものが再び出会った時

ふたつは溶け合い 

それまでの自分の孤独を知る



12サインごとの今週の占いもアップしました。あわせてご覧ください。 こちらからどうぞ。




  1. 2009/11/07(土) 10:20:31|
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魔法の杖の石・その後

ところで、魔法の杖の石のお話です。

今回、以前に購入された方から後日談をいただきましたので、こちらのページにお二人分をアップさせていただきました(^^)

今回のお二人は、たまたまですが、お二人とも「書く」ということがライフワークのひとつになっているところがあり、その「書く」という「核」がどんどん引き絞られて凝固しているような、そんなプロセスの中におられるという印象を受けました。

中心核をしっかりと稼働させずに別のことをやっている場合、中心ではない別の場所にエネルギーが拡散されていて、時にはあちこちに散らばっている、というようなこともあります。それらの相乗効果で人生が回っている形で、こっちがダメでもあっち、みたいに保険をかけているような安心感」があったりもしますし、それはそれで思わぬ展開があったりして面白いこともあったりするのですが、本人が「中心核を全開にしてやっていきたい」と思っている場合、エネルギーの浪費にしかなりません。

けれども、人生の最初のうちから中心核が決まっていて、そこに絞った生き方のできる人は少なくはないけれども、そう多くもないのでは?と思います。中心核での活動が、社会的・経済的にも安泰であったり、周囲からも理解されているものであれば、本人の意識もそこに向かうことはたやすいですが、そうでない場合、そこに絞って失敗したらどうしよう?といった不安から、別の道を探そうとしたり、自ら諦めようとしたりすることもあるでしょうし、逆に、もっと自分を試してみたいという気持ちから、敢えて中心ではない場所での活動をいろいろやってみる、ということもあるからです。

しかし、そういった場合も、結局は中心核に戻っていくことになるので、人生の途中で必ず、拡散させていた活動ポイントを徐々に縮小し、中心核の一点へと移動することになります。

それは、保険を失うことであったり、抱いていた夢を諦めるということになるわけで、とても容易なことではありません。何の安全装置もないのに、とにかくビルの屋上から飛び降りろ、後のことは飛んでからでいいから、と言われるようなもので、自分の将来について考えれば考えるほど、不安が増すことになったりもします。

けれども、先が見えない不安以上に、「中心核に戻りたい」という思いが高まり、それは強い焦燥感となって本人を苛みます。現状を失いたくないという不安と、このまま現状維持すれば人生自体を失いそうだという怖れが闘うことになるわけで、非常にグルグル巻きの葛藤が続いたりもします。

ですが、腹をくくり、中心核に飛び込んでしまえば、思っていたような悪い展開は起こらず、かえって順調で穏やかな流れが訪れたりもするのです。それまでは、暗い激流の滝壺のようにしか見えなかった道が、静かで豊かな大河のようになるのです。

中心核ではない場所で生きていた時も、「ここはなんかちがう」と気づくまでは、同じように穏やかな大河の中にいたのです。けれどもそれが「ここはなんかちがう」と気づいた瞬間、目の前に広がるのは静かな流れではなくなり、そこに近づくのは危険だと思えるような暗い激流に変わるのだと思います。

変化とはそういうものです。あっちとこっち、その「ポイント上」にはたいした違いはないのかもしれません。けれども、こっちからあっちへ移るには大きなエネルギーが必要だからです。その移動エネルギーとして、本人の「確固たる決意」や「覚悟」というものが必要になる。ただそれだけのことだったりして…と思ったりします。

そして、そういうエネルギーを自ら発して辿り着いた先にあるのは、「地道に取り組み続ける」という地味で退屈で面倒くさい作業だったりして、思っているような華やかな世界ではなかったりもします。けれどもそこが中心核である場合、人生のすべてのエネルギーがそこに向かうわけですから、真面目に向き合い、磨き続けた場合の飛躍と成果は、並みならぬものになる、というわけです。

それが、中心核(=ライフワーク)と、そうでない場所との違いだと思います。分散された場所での計算式が「足し算」だとすると、中心核は「掛け算」という感じですね。数式に数値をあてはめるという部分=日々の作業自体はほとんど同じようなものですが、演算して答えを出した時、桁違いの結果が出る、ということです。

中心核で生きようとする時には、そういった「結果」よりも、「やりたいようにやる」というプロセスを重視していることが多いようですが、人生のすべてを集結させた結果、どのような数値が出されるか、というのは、言ってみれば「自分の人生を数値としてみる」ということですから、それはとてもやりがいのあることですし、達成感と満足感が大きくて当たり前だと思います。

中心核へ戻ろうと思い始めた時に、魔法の杖の石を持ってみたいと思う方が多いような気がします。こっちからあっちへ移動することはとりあえず決めたけど、実際に飛ぶ勇気はまだ出ない、という迷いの真っただ中にいる時に、その迷いをふっ切ってくれる力、あるいは自分を後押ししてくれる力が欲しくなるというのは、とても自然なことだと思います。

石を持つことで「これで大丈夫」と安心感を感じて即座に飛べる人もいるし、それでもまだ不安な人は、ゆっくりと時間をかけながら勇気を奮いたたせたり、あるいは足元がどんどん崩れていくような状況になって「もう飛ばざるを得ない」という形で、飛ばされたようにして飛ぶ、という人もいると思います。

いずれにしても飛べればいいのですが、「自分をどうやって飛ばすか」という「飛ばし方」に、その石の性質と、本人の性格や生き方の姿勢が出るのかな、と最近では思います。状況が激しく揺れ動く人が必ずしも「それまでツケをため込んでいた」と決まっているわけではなく、「自分自身の飛ばし方」の好みというもので、現象の出方が変わってくるのではないか?と思ったりします。

何事もスムーズで穏やかに運ぶ方が「理性」は喜びますが、感情や魂は必ずしもそうではなかったりするからです。


  1. 2009/11/05(木) 09:01:06|
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真の自立

さて今回は、「クラッククオーツのインクルージョンが消えた体験」のお話です。

この方と私は、個人的に古い知り合いでして、育った環境や親御さんとの関係など、ある程度つっこんだところまで以前から知っていたということと、石を(ブレスレット)をお作りしてからのち、何度もメールでのやりとりを繰り返す中で、その人本人が地道な自己洞察を行った結果、非常に深い癒しがもたらされることになりました。

最初のお断りしておきますが、石を持てば必ずこのようになれるということではありませんし、雪の石では石に関しては通常、石からのメッセージをお届けする以外の、カウンセリング的なセッションは行っておりませんので、ご了承くださいね。



この方は、母親に対して抑圧的な確執があると自覚しておられて、過干渉気味な母親にあれこれ口出しをされたくないという気持ちから、就職後、反対を押し切って一人暮らしを始め、その後フリーのデザイナーとして頑張ってこられました。非常に仕事熱心で男勝りな頼れる人、といった印象の方で、後輩や友人からの信頼も厚く姉御肌なタイプでしたが、その半面、他人に厳しすぎる面や、必要以上に一人で頑張りすぎるといった点があり、本人もそれを気にしているようでした。

常に仕事優先でバリバリと働き、それで余計に仕事が面白くなって没頭するという感じで、結婚に対しては「まあいつか、できたらいいかな」というスタンスで来ていたのですが、ブレスレットをお作りした直後あたりに運命的な出会いがあり、それによって「自分がなぜ、今まで結婚をせずにきたのか」ということが明らかになったとのことです。

そして、そのことから「自分がいかに、自分をだまして生きてきたか」というようなことが次々にわかり、自立しているつもりで全くそうではなかったこと、自分が親(特に母親)の呪縛の中で生きてきたこと、さらにその呪縛を周囲の人たちに向け連鎖させてしまっていたことなどを自覚し、大きな衝撃を受けたようです。

クラッククオーツは「自立」に関する石です。自立とは、自分の足でしっかりと立ち、自分の身に起きること、感じることのすべてのを「自分が受け止めるべきもの」と理解しているということです。真の自立の中には「どうして私がこんなことを」というような、「私のせいじゃないのに、こんな不当なことをされている」といった不平や憤りはありません。

そして「負の連鎖」みたいなものは、自立の対極にある依存の、最悪な形です。「私だって辛かった、でもそれは私のせいじゃない、だけど責任を取ってもらうことができなかった、だからオマエで我慢しとくわ」と、弱者に不平や憤りをぶつけ、「こんなに辛い私なのだから、被害者の私なのだから、何をしたって許されるはずなんだから」という被害者意識を水戸黄門の印籠のように振りかざして、無関係な相手を自分の苦しみに巻き込むということなのです。

この方は、そういう「負の連鎖」というものを、自分がそうとは気付かずにずっと行ってきたこと、それを行っているということを自分自身に対しても実に巧妙にごまかし、自分をだましてきたことなどを実感し、それによって母親への感情的な執着が消えたとも言っておられました。

すべては、この方の実感、「そうだったにちがいない」という思いからのものですが、それによって内面的な症状、感情面での攻撃性が実際に消えたという点で、その実感は真実であったのではないかと思います。

この方の個人的な体験ですが、他人との関係が築きにくい、適切な距離が取れない、嫉妬や憎悪など、マイナス感情にとらわれて他人を気にしすぎる方などにとって、何らかの参考になるような気がして、今回、当ブログにてご紹介させていただく旨、了解をいただきました。

それでは、けっこう長くなりますので「続きを読む」に畳んでみました。↓↓からお入りください。


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  1. 2009/11/04(水) 09:49:45|
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