7月第2週(7月6日〜7月12日)
潭(たたえ)のカード

◎
閉じられた世界
その中に放り込まれ
出口が見つからなくても
自分の目が開いていれば けっして暗闇ではない
◎
12サインごとの今週の占いもアップしました。あわせてご覧ください。
こちらからどうぞ。
- 2009/07/04(土) 07:01:19|
- タロット|
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まもなく七夕ですね〜。
今年の七夕は満月で、この月に対しては冥王星が合、太陽の方は水星・ベスタが合になっていて、なんだか非常にパワフルな感じがします。
七夕も満月も「願いを叶える」ためのイベントといった趣きがあり、今回はそのふたつが重なるので、願望実現のためにギラギラと欲望を燃やしている人たちにとっては、とても特別な日になっているようですね。
ですが、最近思うのは、願い事って他力本願だと叶いようがないんだなってことです。
満月にお願い事を書き出すとそれが叶うというようなことも、実のところは、そうやって言葉にして書き出すことで、自分の気持ちを整理し、明確にする作用があるんですよね。そして、自分の決意を新たにすると同時に、その目標を達成するための「具体的な行動や計画」を思い描くことになる。ゴール地点が明確になることで、そこに至るまでの道のりを想像し、それが山なのか海なのか、あるいは空路になるのかを知ることで、必要な持ち物や準備しなければならないものが明らかになるわけです。
具体的な行動や計画というものは、自分がどこのどんな国に行こうとしているのかということと、その国への距離や行路を詳しく知って初めて出てくるものです。そして、具体的な行動が出来て初めて、夢や目標は実現への一歩を踏み出せるわけで、満月の日のお願い事は、「自分で自分を動かす」ための、ほんの(でもとても重要な)とっかかりに過ぎないのだと思います。
けれどもそこをはき違えて「書き出せば叶う」=「叶えてもらえる」と思って、最も重要な「具体的に行動する」という部分を丸投げしてしまう人もいるんですよね。ものすごく他力本願な姿勢なんだけど、本人は「人事を尽くして天命を待っている」つもりになっていたりするわけです。
自分に足りない部分やどうしても苦手なことって、無理せずに誰かに助けてもらえばいいんですよね。でもそういうふうに他人の力を借りて、自分のフィールドを広げていくのは、「自分にできること」を100%自力でやっている状態になってからでないと、猫に小判というか、宝の持ち腐れみたいになると思うし、手を貸してくれる相手にとってもただ負担になるだけで、いつかは共倒れに終わってしまうような気がします。
なぜなら、「自分の苦手なこと」を任せているつもりでいて、実のところは「自分のやりたくないこと」を相手に押し付けているだけだったりするからです。
◎
満月にお財布をヒラヒラさせてさ〜、「この空っぽの財布を、お札でいっぱいにしてくださ〜い!」なんてやってる人たちって、バカじゃないのかなーっていつも思うんですけどね、まあ馬鹿は言いすぎかなって思いますので、可愛らしく「アホ」じゃないのかなって言い換えてみたりしつつ、失笑を隠せません。デヘッ。
お金は自分で稼ぐものです。手元にある千円で飯を食い、エネルギーをチャージし、健康を保って、次の日にバリバリと働くことのできる自分を作るもの。それが日当、明日を生きるための今日の金、です。千円分を食事に換えて、翌日に五千円稼ぐことができれば、その千円は5倍に増える「お金の種」です。
お金を種と考える場合、硬貨の方がイメージは湧きやすいんだけど、まあそれはいいとして、私のお金に対するイメージは「種」であり、働くこともお金を使うこともすべて、農業というか、種を蒔いて苗を育てて、その実を食べて、さらに次の季節に蒔くための「よい種」を収穫する。そういう作業のイメージがあります。
だから、「お金が増える」というのは、自分がその種を大切にし、大事に育てるということ以外のなにものでもなくて、天から降ってくるとか、寝ている間に小人がどこかから運んできてくれるというようなものではありません。なので、お金はどれも大切な種であり、増えて当然のものだと思っています。それを上手に増やせないのは自分の育て方の問題だし、使い方が下手クソだということなんでしょうね。
たとえば、食事というものは「明日の自分を作るもの」として、もっとも重要なものですが、同じ金額を払って何を食べるか、どういうものを食べるか?というところが「お金の蒔き方・育て方」に当たると思います。千円払ってジャンクフードを食べるのと、有機栽培の良質な野菜を食べるのとでは、「明日の自分」の中身が変わってくるからです。だからといってやみくもにジャンクフードを避けるのもNGで、その時の自分にとって、呼び水のような作用で毒素を排泄するために必要だったり、免疫や耐性を作るための適応力として必要だったりすることもあるからです。
その時に最も必要なものを必要な分だけ食べる、というのが、最高のごちそうだと思うのですが、そうじゃない「目が欲しいだけの食事」や「ストレス発散としての食事」「娯楽としての食事」が多すぎると、それらは「増えないお金」にしかならず、そのまま消えるだけになってしまうのだと思います。それで、そういう使い方しか知らないから、「お金は増えるもの」だという原理も実体験できないまま、実感が持てず、誰かに言われて頑張って信じ込むしかないんだろうなと思います。頑張って信じ込んだところで、お金の使い方自体が変わらなければ、「増えるお金」にはならないので、やがてそのうち「全然じゃん、嘘ばっかりじゃん」ってことで飽きてやめてしまったりするんでしょうけどね。
満月にお財布をヒラヒラさせて収入が増えた!っていう人は、「増える使い方」のできている人のはずですし、そうでなければ「サクラ」です。もともと増える使い方(=正しい使い方)のできている人にとって、満月というのは「増幅するエネルギー」であり「噴出する欲望の時」でもあるので、そういう勢いを利用して種を蒔き、また、噴出する他人の欲望を利用して自分のお金を増やす、というチャンスの時だと思います。
他力本願な人って、利用されますよ。
お金を増やすことも、夢や願望を達成することも、最も肝心な部分って、一番しんどいことだったりするんです。他力本願な人は、そこを誰かに代わってもらいたがるんですよね。ていうか、そういう弱い気持ちを「他力本願」と言うんです。
一番しんどいことって、それが成果に直結しているからこそしんどいんです。頑張ったことへのご褒美として成功や成果があるのですから、「しんどい部分」をやった人が報酬を受け取る権利があります。
他力本願な人は、その権利を他人に手渡し、それに全く気付かずにいるってことなんですよね。他力本願な人を利用する側の人間は、「一番しんどい」という、その一点だけをピンポイント的に肩代わりすることで、最初から最後まで自分でやるという労力とコストを削減して、「最終成果」を丸取りすることができます。実に美味しいお仕事だと思います。
- 2009/07/02(木) 21:37:18|
- 占星術|
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「勝ちたい癖」のある人は、今まで一度も「勝つ」という経験がないからそれを望み続けるわけで、人に勝ちたい、上に立ちたいみたいな気持ちの病は、「一度、本当に、徹底的に勝つ」ことでしか治らないのかもしれません。
けれども、そんなふうに「徹底的な独り勝ち」なんてものはこの世には存在しないし、もしそうなったとしても、その人がそこで体験するのは「完全なる孤独」です。
かつての王国や帝国などの頂点に立つ支配者が、誰も信頼できず、心を分かち合える相手など一人もいないまま、うわべだけのこびへつらう人間や、下心や敵意、妬みといった浅ましい感情しか向けられないで過ごしていた、というのはよくある話です。
君臨する勝者は孤独です。なぜなら、その座を得るために、それまでに出会った者すべてを打ち負かし「勝利して」ここまで来たのですから。すべての者の上に立ち、君臨した時、そこ足もとにひれ伏している人たちは、「自分が打ち負かしてきた敗者」であり屍(しかばね)なのです。打ち負かされ踏みにじられて嬉しい者はいません。つまり、敗者はひれ伏しながらも心の底では勝者を快く思ってはおらず、けっして心からの称賛など与えません。喜びを共に分かち合えるのは、友人同士だからできることであり、友人というのは「共に勝った者同士」の関係だからです。
「勝ちたい病の人」は本当の孤独を知りません。だから勝ちたがる。自分が勝った時、そこにあるのが「周囲からの祝福や称賛」であると、愚かにも信じているのでしょう。以前どこかで遠巻きに見た「勝者」が、大勢の人に囲まれてちやほやされていたからそう思い込んでいるのかもしれませんが、その「勝者」は独り勝ちではなく、周囲のみんなと「共に勝つ」ということを選んだ人だったかもしれないし、ちやほやとした称賛も、そう見えるだけで実のところは下心と妬みを覆い隠した演技だったかもしれません。
ま、そうはいっても、一度も手にしたことのないものというのは、その実体を知る由がないために、実に都合のいい何かに捻じ曲げられ、好き勝手に妄想を膨らませることができるため、この上なく甘美でドラマチックなものになってしまうのでしょうね。
「勝ちたい病の人が思い描いている勝利の図」には、その人の欲望のすべてが描かれているはずです。それは、勝ちたい病でない人であっても、「何らかの夢(言葉を変えれば妄想)」には、必ず、その人の自分勝手な欲望が投影されていて、それをつぶさに見ることで、自分がどういう妄想を描き、どういった現実に押しつぶされてくじけているのか、ということを知ることができますね。そういう「都合のいい妄想」は、たいていは「現実によって押しつぶされたプライド」や屈辱の裏返しであり、その喪失感を埋めようとする「取り返し行為」だからです。
◎
話は変わりまして、本日はちょびっとお知らせです。
え〜、急なお知らせで申し訳ないのですが、7月よりしばらくの間、「過去世リーディング」の鑑定受付をお休みさせていただくことになりました。
お休みさせていただくメニュー
・過去世リーディング
・過去世特別リーディング「キロンの匣」
・過去世特別リーディング「ベスタの庭」
それに伴いまして、メール鑑定総合のトリプル「星と土」の受付けも休止させていただきます。
いろいろと立て込んでおりまして、申し訳ありません。何分、過去世リーディングにつきましては、鑑定に費やす時間と労力が並々ならぬものがありまして、リーディングの前後や、リーディング後、こっちに戻ってくる時間などの事情もあり^^;しばらくは石の新カードや、コラムなどに取り掛かる予定で、そちらに割く時間を確保するため等々の諸事情による、やむない決断です。
お知らせが遅くなってしまって申し訳ありません。お休みするかどうか、かなりギリギリまで迷った末のことで、急なお知らせとなってしまいました。
またいつか、再開することもあるかと思いますので、その際にはどうぞよろしくお願いいたします。
その代り、星と石につきましては、これまで以上に精力的に頑張ってまいりますので、今後とも占い屋◎雪の石をなにとぞよろしくお願いいたします。
- 2009/06/30(火) 23:23:53|
- 雑記|
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7月ですねー。夏です、夏!
皆さまは四季のうち、どの季節が一番好きですか?
っていう質問、たまにされることがあるのですが、いっつも返答に困るんですよね〜…。季節ってただの環境だし、、そこに好き嫌いを持ち込む余地がないというか…基本的に「おんも(家の外)が好き!」なタイプなので、季節を問わず、風に吹かれるとか陽に当たることが好きなので、嫌いな季節ってないのです。ですが、やはり格段にテンションが上がる「お気に入りの季節」というのはあって、それは「季節の変わり目」です。変わり目というか、「始まり」ですかね。
「あ〜春なんだなあ」とか「秋の空になってきたわー」というような、「今までが終わって、新しいものが出てきた!」みたいな時期はかなり気持ちがウキウキします。新しもの好きってことでしょうか…。
そして、今のこの季節はちょうど「夏になってきたーーーー!!」という、季節の変わり目で、いや〜、わりかし毎日テンション高いです。帽子や日傘なしに散歩を楽しめるのも今のうちやで(><)という「セール終了まもなく!」みたいなギリギリ感や、「もっと暑くなったらスイカやハーゲンダッツの旨みが増す…(にやにや)」みたいな期待でいっぱいになりながら、真夏になるのを心待ちにしております。ま、実際に夏が来たら来たで、寝苦しくてしんどいとか、汗をかいて気持ち悪い、だるくて動けないとか言い出すんでしょうけどね。
◎
それはともかく、7月の石は、夏という季節の爽快感をとてもよく体現しているシトリンです!
この石は、風の要素が強く、非常に軽くて心地の良いエネルギーを持っています。ホロスコープで風のサインは、ふたご座、てんびん座、みずがめ座ですが、シトリンはふたご座の要素が最も強いですね。

【シトリン】
和名:黄水晶
色:黄色〜黄金褐色
モース硬度:7
産地:ブラジル、アメリカ、ロシア他
色の濃淡に関わらず、イエローの水晶をシトリンと呼ぶようですね。天然のもの(非加工)は少なく、ほとんどがアメジストまたはスモーキークオーツを熱処理などで変色させたものです。こうした処理に対しては賛否両論があると思いますが、本来であれば生涯、目にすることも身につけることも叶わなかった私たち一般庶民が、そのエネルギーに触れることができるという意味では、非常にありがたい技術だなと思います。
そういえば黄色の水晶は、他にレモンクオーツがありますが、こちらは硫黄を含んだものを指すようですが、シトリンと同じく加工されたものもあるようです。シトリンとレモンクオーツは、色味やインクルージョンの成分の違いもありますが、やはり触れた時の感覚が異なっていて、シトリンは軽く渇いていて、レモンクオーツは苦味があり、水気が多いです。エネルギー的な性質としては両方とも風の元素に関わる石ですが、シトリンは明るくカラッとした感じの前向きな部分が多く、深刻な物事を軽く笑い飛ばしながら、解決策を探っていくようなタフな面があります。
レモンクオーツも「深刻になりすぎない」という点では同じですが、シトリンほどシニカルではなく、わりと真面目な印象があります。シトリンはブラックジョークを理解するけど、レモンクオーツはそんなこと言わない、って感じです。
自分が落ち込んだりショックな出来事が起きた場合、自分のアホさ加減をおちょくって笑いに変えてもらいたい時と、笑い飛ばしつつも、自分の気持ちに同情を示して慰めてほしい時があったりしますが、シトリンは前者、レモンクオーツが後者にぴったり、という感じです。風でカラッと吹き飛ばすことで癒される傷と、消毒薬で湿らせて保護することで癒える傷があるということでしょう。
ここしばらく、セルフヒールドの自己治癒のアスペクトが出来ていて、内省や過去を振り返る、自分の深みを堀り起こすといった、ドロドロした作業を続けてきた人も多いと思いますが、7月は少し空気が切り替わって、これまでの過程であらわになってきた「古傷の膿み」を空気に当てて乾かし、新しい皮膚が再生してくるのをしばし待つ、といった段階に入ってくるように思います。
ベスタと太陽の合も7月10日までですし、6月から続いていた、ホロスコープ内に火の元素がゼロという状態も18日で終わりです。その頃には梅雨も明けているでしょうし、海の日も間近。そしてその後22日には、60年ぶり?に日本で日蝕が観測されるらしいですし、セルフヒールドの作業も、次のステップへ移行していくような気がします。季節の切り替わりとともに、気持ちもサクッと切り替えて、運気の流れに乗りつつ、たくましく前進していけたらいいですね。
7月の石を使った、次回新作アクセサリーは、ゴールド色の金具で明るさを出しながら、夏の石・サンストーンや太陽の石アラゴナイトなどもちょびっと交えつつ、シトリンの軽やかさ&前向きなタフさを味わっていただけるようにと制作いたしました。
ショップでの販売は、
6月30日(火)21時から の予定です(^^)どうぞお楽しみに〜☆
- 2009/06/28(日) 07:06:59|
- 石のこと|
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7月第1週(6月29日〜7月5日)
数字の4

◎
自分の世界
それは、自分の根っこがしっかりと根付いているどこか
自分の力
それは、自分の根っこがしっかりと吸収した何か
自分とは、そういうもの
◎
12サインごとの今週の占いもアップしました。あわせてご覧ください。
こちらからどうぞ。
- 2009/06/27(土) 07:01:34|
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安定しないお天気が続いていますね〜。そして、蒸し暑い…と思ったらもう7月ですよね。普通に夏ですし!ということで、
7月の占いをアップしました。こちらからどうぞ☆◎
そういえば先日の記事で書きました「宇宙と一体になる」みたいな話なんですけど、虫が苦手な方は読んでおられないかと思いますので、三行でまとめますと
・私たちは取捨選択の結果として人間になっている
・その過程で捨ててきたものは強烈な生理的嫌悪感の対象になることがある
・「宇宙と一体になる」とは、そういう捨ててきたもの、選ばなかったものとも「びっちりと肌をすり合わせる」というようなことである
こんな感じです。つまり「宇宙と一体になる」ことは、人間としての人生をより面白おかしくするための手段や武器にはなりえないし、至福体験でもないってことです。でも、人間意識を捨てた結果の「宇宙との一体」は至福感をもたらすと思います。なぜなら、そこには「嫌悪感」や「拒絶感」が存在しないからです。何もかもがそのままでよく、それらすべてに対して微笑ましさと肯定感を感じるんじゃないかなーと思います。そこで感じる「好ましさ」は絶対的なもので、対立物(=嫌悪)が存在しないので、いわゆる「好きなものに囲まれて、嬉しい〜♪」みたいな恍惚感とは違っているのでしょうね。
しかし、取捨選択の結果としての「自分」に対する異常なほどの愛着特別意識、また、「自分以外」に対してこれまた異常なほどの拒絶や嫌悪を、人間ほど強烈に持つ存在っていうのは他にはいないのかもしれません。ブッダが悟りを開いた時に感じたのは、他の動植物や風、水などの自然界に対する理解と共感意識であり、「人間だけが孤立していた」という自覚だったという話を聞いたことがありますが(たぶん、手塚治虫の漫画だ)、人間以外の生き物は、他の生物に対して「自分が選ばなかったものを選んでいるだけの存在」という捉え方しかしておらず、食物連鎖としての敵対関係はあっても、自分の「精神的安堵」のために、相手を殺そう、できれば絶滅させようとしてあれこれ画策するようなことはないんじゃないかなーと思います。(まあ、人間の害虫や害獣に対する殺虫駆除対策は、食糧を守るための自衛策でもあるんだけど)
ブッダの例をみますと、悟りというのは「一体感を取り戻す、という内面的変容」なわけですが、これって別に「人間としての人生をより楽に、豊かにするもの」じゃないんですよね。自分が捨てたもの、選ばなかったものに対する嫌悪や拒絶があるからこそ「人間」なわけで、そうじゃないのなら「人間」に生まれることはできないはずだからです。
ブッダはもともと、「嫌悪」や「拒絶」というもの人一倍強く持っていた人で、他の人がなんとなく諦めて受け入れている四苦というものに対して、どうにかしてこれを絶滅させる方法はないだろうか?!というところから様々な修行や荒行を片っぱしから試して歩いた人なわけです。で、もちろん、そんな都合のいいものがあるわけもなく、むちゃくちゃな荒行で命を落としかけ、ようやくそんな自分を「もしかして俺って馬鹿??」と思い始め、四苦というものに対しても「それは、喜びや幸福とともにあるワンセットなもの」であり、「命あるものは、必ず受け入れなくてはならないもの」だということを認めることができたのではないかと思います。
そして、その後の修行と探究は、それまでのような「四苦の絶滅」ではなく、「四苦との付き合い方・受け入れ方」のようなものに変わっていったんじゃないかなーと思います。「四苦の絶滅」を諦め、手放したことによって、ようやく「受け入れ方」を探る段階に移行することができ、その変化の果てに「悟り」があったのではないかと思います。
この人は、人生を面白おかしく生きる、ということには全く興味がなく、そんなことは望んでいなかったと思います。
安易に悟りを求め、ブッダが言ってた「宇宙との一体感」みたいなものを手に入れることができれば、今のつまらない人生や、自分のうだつの上がらなさを気持ちよく払拭することができて楽になれる、と思っているような人とは、すでにスタート地点が全く違うところにあるんですよね。
ついでに言うと「楽になりたいんです」とか言う人も多いですが、本当のところは「楽をしたいんです」だったりすることも実に多いです。
自分の欲求さえこんなふうにはき違えていて、幸せになどなりようがないですよね。
- 2009/06/25(木) 08:29:23|
- 雑記|
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みなさま、こんにちは☆
え〜、先日よりショップにて開催中のセルフヒールド特別セールですが、残すところあと2日ほどになりまして、26日(金)いっぱいで終了の予定です。全商品20%オフですので、お買い忘れなどございませんよう(^^)ぜひチェックしてみてくださいね。
途中、2度ほど新商品もアップすることができまして、ワークブックのご予約も合わせて多数のお申し込みをいただき、本当にありがとうございます!
ワークブックの発送作業も無事、終了いたしまして、今週末くらいにはお手元にお届けできるのでは、と思っております。また、セルフヒールドのチャームNo.2もご好評いただき、嬉しい限りです(^^)来月7月にも、チャロアイトを使ったチャームや、ハーキマーダイヤモンドを使ったペンダントなど、セルフヒールドシリーズ第3弾を企画しておりますので、どうぞお楽しみに☆
◎
本日は、人によっては精神崩壊するほどの生理的嫌悪感を刺激する内容になっておりますので、虫が苦手な方は読まないでください。読んで気持ち悪くなっても私のせいではありません。忠告や警告を無視し、物事を軽く考えた結果ですから、そんな愚かな自分を恨んでください。「宇宙と一体になる」とか言いますけども、これが現実的にどういう意味なのか、ちゃんとわかってて言ってんのかなー…と思うことがあります。
人間としての日常や人生に行き詰まりを感じ、その「うまく行かない感」や「周囲にわかってもらえない(賛同・肯定してもらえない)寂しさ」から、孤独を感じ、その原因が「人間が、自然や宇宙から分離している存在だからだ」とかいう結論に至り、人生がうまく行く方法・周囲から賛同や肯定、さらにあわよくば称賛や絶賛などをもらえる方法として、「宇宙と一体になる」ということを目指したり夢見たりしてたりせーへんよなー、この人…と思うことがたまにあります。
孤独や分離・分裂というものは、自分以外の存在に対する共感を失い、独りよがりで自分勝手な姿勢を生み出します。他人の痛みを理解せず、気にも留めないような生き方は、当然周囲に不快感を与え、バランスを壊すことになるので、行き詰まりやつまずき、「うまく行かない状況」を作り出しやすいです。
だから、スムーズで円滑な生活や人生を送るためには、自分以外の様々な存在とつながりを感じている方がいいというのは本当だと思います。
でもですね、「宇宙と一体」とか「全体に戻る、包まれる」みたいなことに対して、変な憧れやうっとり感を抱いて、それが何か高尚で甘美な至福体験のように思っている人って、片手落ちというか、ものすごく重要なことを見落としているような気がします。
それは「全体」というものには、世界のすべてが含まれるということです。
つまり、自分にとって都合のいいものと同じ数だけの「都合の悪いもの」があるわけで、見るもおぞましいもの、考えただけで胸糞が悪くなっちゃうもの、ともすれば本当に吐いてしまえるようなもの、あるいは本当の意味での発狂ができてしまえるものもそこにはあるってことです。
私は苦手なものや嫌いなものがたくさんあって、特にコキフリさん(字面だけでもかなり無理なので、独自表記でお届けしました。実際にお読みになる際は、濁点を加えた形に修正してください)は本当に無理なもののひとつです。私の預かり知らないところでなら、どれだけ派手に繁殖していただいても構わないですし、その存在自体に殺意などもないのですが、その姿を目にすることにはどうしても耐えられず、テリトリー内で発見した時には、精神崩壊から自分を守るために徹底的に戦います(でもかなり逃げ腰&涙目)。
まあそれはともかく、宇宙と一体だの全体に戻るだのというのは、そういう「自分を崩壊させるほどおぞましいもの」とも肌を重ねるということで、私にとってはコキフリさんがビッシリとひしめく「こきふり風呂」にザブッと身を投じるようなものでですね、彼らがワサワサと触覚をうごめかせ、あの「自動車の裏側」みたいな腹をすりよせて私の全身を所狭しと走り回ったりするような感じです。耳とか鼻とかにも入ってきちゃうかも(><)ていうか、口には必ず入ってくるでしょうね、あいつら暗くて湿度が高くて温かい場所が本能的に好きみたいだし(><)今こうして濁点抜きで書いていても、もうかなり無理なので、今日はこのくらいで勘弁しといたるわ!!というくらい無理なことなのです。
こうした特定の何かに対する嫌悪感は、実際のところは自分自身に対する嫌悪感であり、こういう生理的な自己嫌悪は、精神的なものよりもはるかに根深く強烈で、これを捨てることはかなり難しいと思います。なぜなら、それは「種族として、人間になっている」ということの根底を支えている部分でもあるからです。
生き物の原初形は、生物の授業で習う「受精卵」のあの形です。丸いあれが二分割され、四分割され、それを繰り返していく過程で、様々な生物へ変化していきます。そして、虫やバクテリア、細菌のような「受精卵としての形すら共有していない関係」であっても、受精卵になる以前の「細胞」あるいは「粒子」の部分はきっと同じで、地球上だけでなく、世界あるいは宇宙のすべての「存在」は、そのスタート地点では全く同じものなのではないかと思います。
分裂と進化は、取捨選択の繰り返しです。
自分はどういう機能を持ち、どういう存在になりたいか?ということを決定し、選択し続けて、虫や鳥、犬や人間になっているのだと思います。魚は空を飛ぶことを捨て、水中で泳ぐことを選び、その生活に必要な機能を身につけ、必要のないものを捨ててああいう形になっているのです。
人間は、柔らかくて敏感な皮膚を持ち、常に何かでカバーしていなければならない身体を選びました。汗をかき、紫外線などで殺菌して「皮膚を清潔に(=なるべく雑菌の少ない状態に)すること」で、健康を保つようになっています。歯や爪などの「武器としての身体機能」は弱く、ないも同然です。その代り、道具を発明して使いこなす知能を持ち、それらを身につけたり、要塞を作ったり、「自分の身体以外のものを身に着けたり、持ったりする」ことで、生き延びてきました。
これに対して野生は、特に昆虫は、強くて丈夫で衝撃に強い構造の皮膚を持ち、身を守るために必要なものはすべて身体機能として装備しています。特別な道具や家のようなものは基本的に必要なく、どんなところにでも身ひとつで移動し、生きていくことができます。そして、コキフリ様にいたっては、サルモネラ菌などの毒性の強い雑菌を同居させることで「毒を持って毒を制する」形で、自分の身を守り、どんな悪環境でも生き延びられる生命力と適応力を身に付けています。
彼らが好む生活環境は、人間がおぞましく感じる環境であり、人間が「人間になる過程」で捨ててきたものを選んだ姿が彼らなのではないかと思います。
清潔さを好み求めれば、不潔さには嫌悪を感じ、極力遠ざけておきたいと思うものです。そういう取捨選択の結果が「人間」という今の形を支えているのだとしたら、そこを捨てるというのは、「自分は人間なのだ」という意識を失うことになるし、進化の目的の根本は「生き延びる」という自己保存である以上、それを失うことは実質的に死活問題であり、強烈な恐怖ではないかと思います。
自分が楽になりたい、もっと面白おかしく、気分よく毎日を過ごしたい程度の思いから「宇宙との一体」なんかを望んだところで、そんなもの、爪の先ほどの「ほんのちょびっと」すら、体験などできようもないし、体験しない方が身のためなんじゃないかなーと思います。
人間という存在形態は、身一つでは寝起きすらままならない不便で面倒なものです。たとえば、素っ裸でジャングルや山の中で一晩過ごすとか、ありえないですよね。コキフリさんはいなくても、武器や具もなく火も使えない状態で人が生きるなんて無理なのですから。そういった意味ではやはり虫やウイルスとしての生き方は、すごく賢いなーと思うし、生まれ変わる機会があれば、ダンゴムシなんかに生まれてみたいなーとも思いますが、今は全身全霊骨の髄まで人間なので、コキフリさんに対する嫌悪はどうにもならないんだろうなーと思います。
そして、彼らへの狂おしい嫌悪を感じるたびに、あー私は人間なんだなーと実感するのですが、こうした「人間意識」も、「生命」そのものと同じように、成長→膨張→頭打ち→衰退→枯れる、という流れがあるので、いつかは平気になって、手のひらに乗せられるくらいになるんだろうなーとも思います。手乗りインコならぬ、手乗りコキフリ。って、無理っ!!
- 2009/06/24(水) 15:02:29|
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